Introduction
イントロダクション
1981年、初代タイガーマスクの登場は、あらゆる年代層にブームを超越した社会現象を巻き起こした。
劇画の世界を現実にした驚異の四次元殺法を駆使し、1951年に始祖・力道山によって我が国に開花したプロレスというジャンルの魅力を、30年後に究極の最終フォーマットに辿りつかせた張本人、それがタイガーマスクだったとも言える。
2年4か月のキャリアの中で、テレビ朝日に残されていた名勝負の中から45試合を厳選、ここにタイガーマスク映像として史上初のBlu-ray作品が完成した。
“爆弾小僧”ダイナマイト・キッドと繰り広げたマディソン・スクエア・ガーデンでの一戦では、2万2000人超満員観衆を総立ちにさせ、“暗闇の虎”ブラック・タイガーを仕留めた芸術的ラウンディング・ボディプレスは格闘芸術の頂点とまで絶賛された。
執拗に覆面を剥がそうとする“虎ハンター”小林邦昭のアゴめがけて放つ戦慄のローリング・ソバットも圧巻の一語。
これらライバルとの国内名勝負は勿論、アメリカ、メキシコを股にかけた颯爽たる世界的スーパースターぶりも高画質でタップリと堪能できる、これぞまさに最強最後の傑作Blu-rayを絶対に見逃すなかれ!
Profile
プロフィール
- 初代タイガーマスク(佐山サトル)
- 新日本プロレスマットでデビュー、メキシコ、イギリスで活躍後、アントニオ猪木、新間寿両氏の命を受け、1981年4月23日蔵前国技館にてタイガーマスクとして衝撃デビュー。
アントニオ猪木氏率いる新日本プロレス伝統のストロングスタイルを基盤として華麗なる空中技と変幻自在な四次元殺法、威力抜群の打撃技で、プロレス界のみならず、社会的に空前の“タイガーマスクブーム”を巻き起こす。
ダイナマイト・キッド、小林邦昭、ブラック・タイガー他強豪レスラー達と激闘を繰り広げた数々の名勝負は数十年を経た現在も多くのファンに語り継がれている。
Product
製品情報
初代タイガーマスク
デビュー40周年記念Blu-ray BOX
[Blu-ray仕様]
2022年/日本/カラー/合計801分(DISC1:197分、DISC2:205分、DISC3:209分、DISC4:190分)/リニアPCM(ステレオ、一部モノラル)/16:9 1920×1080i Full High Definition/MPEG-4AVC/4枚組/DISC全て1層(予定)
※仕様は変更となる場合がございます。
[収録内容]
ノーカット
1981年4月23日 蔵前国技館
タイガーマスク vs ダイナマイト・キッド
イギリスから帰国した佐山聡が「1日だけ」という条件でマスクマンデビュー。それまで阿修羅原、藤波辰巳らとライバル関係にあったジュニア界の新星ダイナマイト・キッドを相手に衝撃の日本デビューを果たし、ワンナイトで日本ファンの心を鷲掴みにした、これぞ究極の伝説マッチ。
ノーカット
1981年6月4日 蔵前国技館
タイガーマスク&藤波辰巳 vs クリス・アダムス&マイク・マスターズ
「第4回MSGシリーズ」決勝戦当日の第5試合に組まれた2度目の蔵前国技館登場。WWFジュニア王者・藤波との初タッグ結成によって、早くも猪木、坂口、藤波と並んで新日本のトップグループに入ったことがファンに強く印象付けられた。
1981年6月24日 蔵前国技館
タイガーマスク vs ビジャノⅢ
テレビ朝日90分特番の「水曜スペシャル」で放送された生中継映像。メキシコの英雄的存在だったレイ・メンドーサの息子ビジャノ3号相手に、素顔のサトル・サヤマとして1978年~80年のメキシコマットを席捲したルチャ・リブレ戦法を存分に披露する。
ノーカット
1981年8月2日 後楽園ホール
タイガーマスク vs スコルピオ
6月21日から7月下旬まで素顔の「サミー・リー」としてイギリス・マットで総決算の巡業を終えた佐山聡は、7月31日からタイガーマスクとして新日本マットに定着。同シリーズ後半戦に特別参加していたメキシコのトップヒール、スコルピオを迎撃して後楽園ホールに登場。
ノーカット
1981年9月18日 広島県立体育館
タイガーマスク&藤波辰巳 vs エル・ソリタリオ&エル・ソラール
メキシコで10年以上もトップに君臨していた“孤狼仮面”エル・ソリタリオが新日本マットに2年ぶり2度目の参戦を果たし、“太陽仮面”ソラールとの豪華コンビで藤波、タイガーマスクに挑んだ夢の対決。地味な関節技の攻防も随所に見られるマニア垂涎の好勝負。
ノーカット
1981年9月23日 田園コロシアム
タイガーマスク vs エル・ソラール
ソラールの肩を脱臼させてレフェリーストップに追い込むという壮絶結末が話題を呼んだ一戦。タイガーマスクのハイ、ミドル、ローのキック波状攻撃を全身に浴びたソラールは、ほぼ戦意喪失となった。特別レフェリーとして起用された山本小鉄の厳しい裁きにも注目。
ノーカット
1981年10月8日 蔵前国技館
タイガーマスク vs マスクド・ハリケーン
サトル・サヤマがメキシコ遠征時代にライバルだったボビー・リー、が日本限定のマスクマン「マスクド・ハリケーン」として初来日。だがリーは来日前に腰を負傷してコンディションが最悪の状況にあり、期待された好勝負にはならなかった。
ノーカット
1981年10月30日 安城市体育館
タイガーマスク&木村健吾 vs エル・シグノ&ネグロ・ナバーロ
エル・テハノを加えたトリオ「ロス・ミショネラス・デ・ラ・ムエルテ」は、当時メキシコの6人タッグ戦線を荒らしまくっていたトップチーム。木村健吾も1978年から79年にかけ「パク・チュー」の名でメキシコで暴れていた時期があり、意外なルチャ戦法で迎撃。
ノーカット
1981年11月5日 蔵前国技館
タイガーマスク vs グラン浜田
同じ新日本プロレスの4年先輩、グラン浜田との対決は、後年タイガーマスク本人が「最もやりにくかった試合」と述懐。小柄な浜田は1975年にメキシコへ送られ、そこで大輪の花を咲かせた。「ここで叩いておかないと、今後メキシコでも後塵を拝する」と感じた浜田のエグい攻めに着目。
ノーカット
1981年12月1日 愛知県体育館
タイガーマスク&藤波辰巳 vs エル・カネック&スーパー・マキナ
「第2回MSGタッグリーグ戦」後半戦に組まれたタッグマッチで、スーパー・マキナはこれが初来日。藤波は11月5日にヘビー級転向を記者発表し、保持していたWWFジュニアヘビー級王座を返上。事実上、タイガーマスクはこのあたりから「ポスト藤波」としてジュニアの重責を担う立場となった。
ノーカット
1981年12月8日 蔵前国技館
タイガーマスク vs エル・カネック
ここまで無敵の快進撃を続けていたタイガーマスクだったが、「果たしてヘビー級のトップに通用する実力なのか?」というファン最大の疑問に答えを出した重要な一戦。メキシコでヘビー級王者に君臨するカネックのパワーに対抗した、タイガーマスクの技術の極みに注目。
ノーカット
1982年1月1日 後楽園ホール
タイガーマスク vs ダイナマイト・キッド
藤波辰巳のヘビー級転向にともない、空位となったWWFジュニアヘビー級王座をダイナマイト・キッドと争奪する歴史的な一戦。元旦の夜7時半からの生中継で全国放送され、ここにタイガーマスク人気は完全に国民的レベルに浸透。キッドとの抗争も、ここから新しいステージに突入した。
ノーカット
1982年1月28日 東京体育館
タイガーマスク vs ダイナマイト・キッド
ダイナマイト・キッドとの数ある名勝負の中で、この一戦をベストに推すマニアも多い。特にフィニッシュ・シーンのジャーマン至る攻防は「相手の裏をかく心理戦」の連続で、二人の天才レスラーでなければ展開できない異次元のハイレベル。
1982年2月5日 札幌中島体育センター
タイガーマスク vs ブレット・ハート
ダイナマイト・キッドと並ぶカルガリーの新星、24歳のブレット・ハートがWWFジュニア初挑戦。キッドに比べるとスピードで劣ったが、持ち前のパワーでタイガーマスクを何度も苦境に追い込んだ。フィニッシュ・シーンの鮮烈さでは、デビュー戦と並びタイガー史上最高の評価が高い。
ノーカット
1982年2月9日 大阪府立体育会館
タイガーマスク vs ベビー・フェイス
メキシコではスコルピオとのルード(悪役)・コンビでトップを取っていたベビー・フェイスは、これが3度目の来日。新春シリーズ中に藤原喜明、寺西勇からフォール勝ちをおさめた大殊勲の実績を買われて、最終戦で遂にタイガーマスクの王座へ挑戦する夢を実現。
1982年3月4日 後楽園ホール
タイガーマスク vs スティーブ・ライト
ヨーロッパのマットを代表する正統派テクニシャン、スティーブ・ライトは、欧州に遠征経験のあった藤波、藤原が実力を絶賛した大物。長いリーチを生かした縦横無尽の関節技を駆使して、タイガーマスクの反撃タイミングをことごとく寸断、白熱の攻防戦が展開された。
1982年3月12日 後楽園ホール
タイガーマスク vs ブラックマン
ブラックマンはメキシコUWA世界ライト級王者として93回の防衛記録を誇った軽量級の名選手。タイガーマスク本人もその実力を認めるコメントを多く残している。コーナー・ポストの頂点で倒立するというアクロバティックなギミックを見せ、日本のルチャ・ファンを一気に魅了。
ノーカット
1982年3月19日 鹿児島県立体育館
タイガーマスク&星野勘太郎 vs ブラックマン&コロソ・コロセッティ
この試合でパートナーとなった星野勘太郎は、1970年から73年にかけてメキシコに二度遠征し、数多くの王座を獲得した実績を持つ。相手チームの片割れコロソ・コロセッティは1978年に藤波のWWFジュニア王座にも挑戦した実力者で、タイガーの王座挑戦に野望を燃やしていた。
ノーカット
1982年4月1日 蔵前国技館
タイガーマスク vs スティーブ・ライト
3月4日の後楽園大会で不明瞭なリングアウト勝ち防衛を果たしたタイガーマスクが、完全決着を目指してスティーブ・ライトとのリマッチを受諾。ライトの秘密兵器ロメロ・スペシャルで絶体絶命のピンチに追い込まれたタイガーは、初公開の意外な大技で一発大逆転。
1982年4月21日 蔵前国技館
タイガーマスク vs ブラック・タイガー
1979年秋に素顔で国際プロレスに来日経験のあるイギリスの超大物ローラーボール・マーク・ロコが「暗闇の虎」ブラック・タイガーに変身して待望の新日本マット登場。イギリスのドル箱カードだった「サトル・サヤマ対マーク・ロコ」が形(姿)を変えて日本で再現。
1982年5月25日 静岡産業館
タイガーマスク vs レス・ソントン
かつて日本人レスラーとしては、ヒロ・マツダしか獲得したことのない最高権威のNWA世界ジュニアヘビー級王座挑戦が実現。王者レス・ソントンは英国出身のパワー派ジュニアで、シリーズ中に浜口、木戸、寺西、藤原、星野からシングルで完璧なフォール勝ち。日本の切り札タイガーマスクと最高ムードの中で実現。
ノーカット
1982年5月26日 大阪府立体育会館
タイガーマスク vs ブラック・タイガー
前日にレス・ソントンを破ってNWA世界ジュニアを奪取したタイガーマスクが、二冠を賭けて連日のタイトルマッチに挑む。ブラック・タイガーはこの一戦の20日前、争奪戦でグラン浜田を撃破して王者になったばかりの初防衛戦。タイガーマスクが最後に魅せる芸術的フィニッシュは驚異。
ノーカット
1982年6月18日 蔵前国技館
タイガーマスク vs ウルトラマン
挑戦者となったウルトラマンはメキシコの人気ルチャドールで、年齢的にはタイガーマスクより7歳上の32歳。素顔でデビューしたが、日本の人気キャラクターに目をつけたプロモーターが1975年にウルトラマンに変身させた。40度を越すリングは、スタミナに難のあるウルトラマンには酷過ぎた。
ノーカット
1982年7月6日 大阪府立体育会館
タイガーマスク vs ウルトラマン
初戦で馬脚を現した感のあったウルトラマンだったが、シリーズ中盤では徐々に盛り返し、終盤の大阪大会でタイガーマスクのWWFジュニア王座再挑戦に成功。空中戦では敵わぬと判断したウルトラマンは執拗な寝技で善戦したが、最後は華麗な大技の前に完全玉砕。
ノーカット
1982年7月23日 石川県産業展示館
タイガーマスク vs ダイナマイト・キッド
反則負けではあったが、タイガーマスクが喫した唯一の黒星がこのキッド戦。当時は場外フェンス越しに相手を投げると反則負け、というルールだったのでアンラッキーな部分はあったにせよ、試合内容でもキッドの優勢は明白で、特に垂直落下のバックドロップは「タイガーの首が折れた!」と思わせたほど壮絶。
1982年7月30日 愛知県体育館
タイガーマスク vs ブレット・ハート
2月の札幌に続いてブレット・ハートが二度目の挑戦。ウェイトを10キロ以上増したハートは完全なヘビー級ボディに変身してパワーで勝負したが、研ぎすまされたタイガーマスクのテクニックには及ばず、無残な返り討ち。カルガリー地区と新日本のレスラー交流は、このあたりからピークを迎える。
ノーカット
1982年8月5日 蔵前国技館
タイガーマスク vs ダイナマイト・キッド
糖尿病悪化による猪木欠場とあって、蔵前国技館のメインを任されたのはタイガーマスク(対ダイナマイト・キッド)と藤波(対ボブ・バックランド)の二人。常軌を逸したキッドの反則攻撃に耐えたタイガーマスクは、遂に「禁断の必殺技」を繰り出しフォール勝ち。
ノーカット
1982年8月27日 後楽園ホール
タイガーマスク&藤波辰巳 vs ピート・ロバーツ&ブラック・タイガー
1980年9月、新日本のシリーズ参戦後にフロリダのカール・ゴッチ邸で佐山聡をピックアップした“英国の魔豹”ピート・ロバーツは、同じ航空機で佐山を同行し、ロンドンのマットに転戦させた。つまりロバーツはタイガーマスクにとって恩人の一人。
ノーカット
1982年8月30日 マディソン・スクエア・ガーデン
タイガーマスク vs ダイナマイト・キッド
ニューヨークのMSGに詰めかけた2万2000人の観衆を総立ちにさせるシーンが最大のみどころ。試合開始早々には「なんだ、ふたりのチビが、チョコチョコ動きまわっている」という偏見目線で見ていた客が、徐々に「我々は、凄いものをみているな!」という様子に変化する。
1982年9月10日 宇土市体育館
タイガーマスク vs ピート・ロバーツ
ピート・ロバーツは初来日の第1戦(1974年1月4日)に猪木とシングルで対戦し善戦した実績があり、そこからは毎年招聘されるレギュラー外国人になった。佐山をロンドンのプロモーターに紹介して「サミー・リー」を生んだ功績は、タイガーマスク誕生の前段階として永遠に称賛される。
ノーカット
1982年9月19日 後楽園ホール
タイガーマスク&星野勘太郎 vs ブラック・タイガー&ビジャノⅢ
この試合が行われた「ブラディ・ファイト・シリーズ」は、事実上ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の「新国際軍団」が主役となって、連日猪木、藤波、坂口ら正規軍との血生ぐさい抗争に明け暮れたので、タイガーマスクの試合は清涼剤として喝采を浴びた。
ノーカット
1982年9月21日 大阪府立体育会館
タイガーマスク vs ブラック・タイガー
5月にベルトを奪われたブラック・タイガーが雪辱を期してのリターンマッチ。母国のイギリス・マットは宿敵のサミー・リー(タイガーマスク)とダイナマイト・キッドが去ったことでライバル不在状態となり、興行成績も急速に沈滞。ブラックにとって、ベルト奪取のモチベーションは最高潮に達していた。
ノーカット
1982年10月26日 大阪府立体育会館
タイガーマスク vs 小林邦昭
この「闘魂シリーズ」に2年4か月ぶりに凱旋帰国した小林邦昭は、赤いパンタロン風の新コスチュームで脚光を浴びた。開幕戦で長州力が藤波辰巳に宣戦布告したシーン(「噛ませ犬事件」)を見た小林は「俺の標的はタイガーマスク」と決意。この大阪大会で初の挑戦権をゲット。
ノーカット
1982年11月4日 蔵前国技館
タイガーマスク vs 小林邦昭
タイガーマスクが初めてNWA世界、WWFジュニアの二冠を賭けて挑戦を受けた注目の一戦。執拗にマスクを剥がそうとする小林の反則攻撃にペースを握れないタイガーは、縦横無尽のキック攻撃で難局を打破。このあたりから小林との抗争がピークに突入した。
1982年11月25日 フィラデルフィア・スペクトラム
タイガーマスク vs エディ・ギルバート
MSGと並ぶWWF圏内の大会場、フィラデルフィア・スペクトラムで王座挑戦のチャンスをゲットしたエディ・ギルバートは往年の名選手であったトミー・ギルバートの長男。技巧派で将来を嘱望されたが、このタイガー戦の6か月後に首を負傷して長期離脱。1995年に40歳の若さで死去。
ノーカット
1983年1月6日 後楽園ホール
タイガーマスク vs 小林邦昭
久しぶりにショートタイツ姿に戻った小林が、正月の後楽園で3度目の王座挑戦。長いタイガーと小林の抗争ヒストリーの中で20分を超すロングマッチになったのはこの試合だけで、76年から78年にかけての「名物前座試合」を再現したような重厚な緊迫感が秀逸。
ノーカット
1983年2月3日 札幌中島体育センター
タイガーマスク vs グラン浜田
前年の3月以来、浜田にとっては久しぶりのタイガー戦。ホームリングのメキシコではUWAの軽量級王者だっただけに、タイガーのNWA世界ジュニアを獲得して、メキシコNWA派(EMLL)にもチャンピオンとして登場する「統一王者」の野望を剥き出しにした一戦。
1983年2月7日 蔵前国技館
タイガーマスク vs ブラック・タイガー
長い抗争を繰り広げたタイガーマスクとブラック・タイガーの名勝負も、これがラスト・マッチ。シリーズ中のノンタイトル・シングル戦で1勝1引き分けだったタイガーマスクが、3度目の対戦にはWWFジュニア王座を賭けて完全決着を期した。
1983年2月8日 大阪府立体育会館
タイガーマスク vs 小林邦昭
タイガーマスクのライバルとして毎週のようにテレビ登場を果たすようになった小林は、日常生活の中でも「封筒に入れたカミソリを送られる」という脅迫行為に悩まされる。テレビ視聴率が毎週20%を超え、この2月には25.9%を叩きだしブーム最高潮。
ノーカット
1983年4月21日 蔵前国技館
タイガーマスク vs ダイナマイト・キッド
シリーズ開幕戦でキッドのツームストーン・ドライバーを食い頸椎損傷したタイガーマスクは、第3戦から長期欠場を余儀なくされ、WWFジュニアとNWA世界ジュニアの両王座を返上。この21日の蔵前戦は王座決定戦という形で行われ、二人のラストにふさわしい壮絶マッチに発展。
ノーカット
1983年6月2日 蔵前国技館
タイガーマスク vs 小林邦昭
前シリーズで空位のままになっていたNWA世界ジュニア王座の決定戦。IWGP決勝リーグ最終戦に行われ、IWGPに関係していないタイガーマスクは、この試合のみ出場した。一方の小林は開幕戦から出場してIWGP出場の外国人とも試合をしていたため、コンディション的には不利を背負った。
ノーカット
1983年6月12日 エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
タイガーマスク vs フィッシュマン
小林に勝ってNWA世界ジュニアを奪還したタイガーマスクは、メキシコでフィッシュマンを迎え(空位の)WWFジュニア王座の奪還に挑んだ。2本目にフォールを許して1本失ったが、これは1982年暮れにメキシコでペロ・アグアヨ、ビジャノⅢに(3本勝負の1本を)許して以来。敵地メキシコでは、さすがのタイガーも強豪相手のストレート勝ちは困難だった。
ノーカット
1983年7月7日 大阪府立体育会館
タイガーマスク vs 寺西 勇
寺西は国際プロレス時代にIWAミッドヘビー級選手権を保持した実績があり、のちにAWA世界ヘビー級王者になったリック・マーテルの挑戦を2対1で退けた実力者。国際軍団ではラッシャー木村、アニマル浜口の活躍に隠れてブレイクが遅れたが、タイガーマスクを相手に本領発揮。
1983年7月14日 札幌中島体育センター
タイガーマスク vs 小林邦昭
この時期に新日本プロレスではフロント陣が主導して「クーデター(猪木体制の打倒)」が進行しており、レスラーも巻き込んで連日秘密の会合が持たれていた。タイガーマスクも例外ではなく、さらに劇画タイガーマスクの原作者を絡めたネーミング問題などを含めて、リング上に集中できない状況にあった。
ノーカット
1983年8月4日 蔵前国技館
タイガーマスク vs 寺西 勇
これがタイガーマスク運命のラストマッチ。団体内のゴタゴタや、プライベートな問題にまで干渉される状況に嫌気をさしたタイガーマスクは、この試合を終えた6日後の8月10日、新日本に契約解除通知書を郵送し、12日には素顔でNWA,WWFベルトを返上した。
※収録内容は変更となる場合がございます。